プロジェクトについて
代表理事ご挨拶 「暗黒の未来」にしないために
SATOMI 臨床研究プロジェクト代表理事の國頭英夫です。
日本赤十字社医療センターの化学療法科部長をしている癌専門の内科医ですが、里見清一というペンネームで『週刊新潮』にコラム「医の中の蛙」を連載しています。私の友人で患者でもある編集者から、「医の中の蛙、大海を語れ」とそそのかされ、無謀にも医療を軸にした社会時評を書いている次第です。
このペンネームが山崎豊子さんの『白い巨塔』に由来しているのは、小説やドラマ(ちなみに平成版と令和版のTVドラマの監修は私がやりました)に触れた方なら、すぐにピンとこられるでしょう。患者の立場に立つ良心的な医者の代表として「里見」が描かれています。
代表略歴
・1961年鳥取県生まれ、1986年東京大学医学部卒業。横浜市立市民病院、国立がんセンター中央病院、三井記念病院などを経て2014年より現職。2021年非営利型一般社団法人SATOMI 臨床研究プロジェクトを設立。杏林大学腫瘍内科客員教授。英文医学雑誌Japanese Journal of Clinical Oncology編集長。
2011 年頃より高額医療問題を日本で初めて指摘、2016 年の財政制度等審議会での発言が大反響を呼び、薬価見直しにつながった。
著書に『医学の勝利が国家を滅ぼす』『「人生百年」という不幸』(いずれも新潮新書)、小説『見送ル』(新潮社)、『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』(医学書院)など。
趣味は落語鑑賞。愛読書はマキャベリの『君主論』。人生のピークは、共通一次で全国一位だった18歳の時で、以降は下る一方ですが、これは日本国と同じかも知れません。
私は、外見も人柄もドラマのキャラクターのように素敵な人物ではありませんが、「白い巨塔」といわれる医者の世界には関わりなく臨床医としてのキャリアを積んできました。 私が大学医学部を卒業した昭和末期は、まだ、研修期間の終了後は大学の研究室に所属し、医局の指示に従って病院に赴任するのが一般的でした。
しかし私は研究会で知り合った先生と勝手に話をつけ、教授からは事後承諾をもらっただけでそこへ就職しました。当時は随分と非常識と言われましたが、令和の現在では多くの若い医師が自分で就職先を決めています。
その就職先の病院では、部長と二人だけの呼吸器内科で、肺癌の患者さんに対し、日本ではまだほとんどやられていなかったがん告知を始めました。仲間内からも好奇の目で見られましたが、10 年も経たないうちにがん告知はごく普通のことになりました。
その後私自身は、がん治療薬など薬価の急上昇に危機感を覚え、警鐘を鳴らすようになりましたので、自然と製薬企業からの講演依頼はなくなりました。
そして医者仲間からも、自分のやっている仕事のコストを減らせなんて変わったことを言う奴だと不思議がられています。逆風はいつものことです。これもそのうち「当たり前のこと」になるでしょう。
さて私は、現在の医療を少しでも改善させるための臨床研究に長年携わっています。臨床研究とは、試験管の中での反応や動物での実験と違い、実際に患者さんを治療していく上でデータを集め、解析し、直接的に患者さんの役に立つ治療法を開発しようというものです。
この社団法人は、私自身や私と志を同じくする仲間が企画立案し、推進したいと考える臨床研究をサポートするための「プロジェクト」として設立しました。
ただどうしてもご理解いただきたい点は、
私たちが考える臨床研究は、医療を「バラ色の未来」にするためではなく、「暗黒の未来」にしないための、いわば前向きではなく、後ろ向きで地味な、しかし今の日本に最も必要な研究だということです。
私たちについて
この社団法人は、代表理事である里見清一こと國頭英夫日赤医療センター化学療法科部長の発案で設立しました。
一介の医師が日本の医療体制を憂いて、地味な臨床研究の後押しをしようと言うのは、ドンキホーテ的な試みとも言えます。
教養はないが世事に長けたサンチョパンサ役が、もう1人の理事である石井昂です。
里見清一コラムで「我が編集者」として登場する新潮社の編集者であり、國頭医師の長年にわたる患者。肺がん小細胞癌から心室細動まで数々の大病を経験し、自ら患者のプロを自称しています。
もう1人の理事は、武井秀史昭和大学呼吸器外科教授。國頭医師とはがんセンター時代一緒に肺がん患者の診察に当たりました。また2018年から高齢者肺癌の術後活動度の調査研究を國頭医師と共にやっています。
更に、社団法人の経理は、税理士の澤田裕美子さんにお願いしています。志はとてつもなく大きいですが、小さな小さな社団法人です。
皆様のご支援のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。
理事 石井昂