- SATOMI CLINICAL RESEARCH PROJECT -
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応援メッセージ

医学の未来、私も応援します

林真理子

 國頭先生のことは、ずっと以前からよく存じ上げていました。ただし本をお書きになる里見清一さんとして『週刊新潮』のエッセイもずっと読んでいて、「なんと視点がユニークなお医者さんだろう」と思っていました。

 國頭先生と接触を持ったのは、コロナ禍友人たちと当番制で、病院におやつをお届けしたのがきっかけです。その都度先生から、丁寧なお礼状がメールで来るので、みんな感動していました。私はそれに付け加えられたコロナや病院のリアルがとても興味深く、私たちだけで読むのはもったいないと考えていました。そしてこんな医師に看てもらえる人たちはなんと幸せなのだろうと思わずにはいられません。國頭先生のおつくりになる医学の未来、私も応援します。

久坂部羊

患者さんと医師のダブルアクセルで暴走する医療。そこに適正なブレーキをかけようという、このプロジェクトを心から応援します

作家・医師 久坂部羊

 医療はだれにとっても重要で、常によりよい状態で維持されなければなりません。患者さんに十分な医療が提供されるのは当然であり、医療者もまた十分な医療を提供すべきだと考えています。しかし、この“できるだけ十分な医療”が、患者さんの側と医療者側の両方のアクセルで推進されたらどうなるでしょう。

 医療は有限の資源です。人も時間も施設もお金も無尽蔵にあるわけではありません。このままダブル・アクセルで暴走すれば、いずれ破綻することは目に見えています。「SATOMI臨床研究プロジェクト」は、この暴走車も同然の状況に、ブレーキを備え付けようとする企画だと私は理解しています。

 何も不十分な医療にしろと言うのではありません。十分すぎる過剰な医療を、適正量に抑えようというのです。この企ては、患者さんの側と医療者側の両方から反発されるでしょう。患者さんは治療が縮小されることに不安を感じ、医療者は収益の減少を危惧するからです。

 しかし、このダブル・アクセルの状況は、確実に医療を歪なものにしています。たとえば、高血圧の基準は、今は収縮期で140mmHg以上とされていますが、私が医学生のころには160mmHg以上でした。コレステロール値も今は220mg/dl未満が適正量とされていますが、私が医学生だったころは250mg/dl以下でした。基準値を下げることは、患者さんをより安全な状態にする一方で、大勢の病人を作りだし、医療機関の受診率と、薬剤の使用量を飛躍的に増大させます。安全はありがたいですが、ほんとうにそこまで基準を厳しくする必要があるのでしょうか。

 新しい治療を導入するとき、製薬会社はできるだけ薬を使ってもらいたいので、どうしても初期投与を多い目に設定しがちです。患者さんも、より効果的な治療を望みますから、薬は多いほうがいいと感じます。これもダブル・アクセルで、必要十分量を大幅に超えた量が用法として公認されたりします。

最近の抗がん剤で特に顕著ですが、1人あたりの治療費が、年間1,000万円を超えるような薬を、節約(節薬)可能にもかかわらず、山盛りいっぱい使っていれば、医療費が膨大になるのは当然です。そのことによって、将来、日本が世界に誇る国民皆保険制度が維持できなくなれば、私たちは子や孫の世代に申し訳が立たないのではないでしょうか。

安心・安全を求めるという“錦の御旗”の元に、ダブル・アクセルをふかし続ければ、医療が「暗黒の未来」になるのは目に見えています。この“錦の御旗”を下ろさせるのは容易ではありません。「生命の絶対尊重」や「長寿の無条件礼賛」などのスローガンも同様です。耳触りのよいきれい事で思考停止するのではなく、老いや死について率直に考え、場合によっては医療の手控えなど、現実に即した対応も必要です。

この一般に受け入れがたい“ブレーキ”を機能させるために、説得力のあるエビデンスを集めるのが、「SATOMI臨床研究プロジェクト」だと思います。これからの医療を真剣に考えるなら、ほんとうに必要なのは、“バラ色の未来”を夢見ることではなく、過剰医療を抑えて、適正な状態に落ち着かせることです。その先陣を切ってスタートした「SATOMI臨床研究プロジェクト」を、心より応援したいと思います。

日本人の死に時

俵万智

地球を無駄遣いして温暖化を招いたようなことが、医療でも起こっているとしたら、子どもたちの世代に顔向けができない

俵万智

 コロナ禍のなか「医療資源」という言葉を何度も耳にした。資源というからには、有限のものである。限られた資源を、いかに有効に活用していくか。それは、今現在のことだけでなく、未来にもつながっていく問題だろう。

 地球を無駄遣いして温暖化を招いたようなことが、医療でも起こっているとしたら、子どもたちの世代に顔向けができない。いきなり原始時代に戻りましょうという話ではなく、医療においても長期的な展望に立って、貴重な資源を大切に使っていこうという発想。それは、とても大切で自然なことではないかと思う。そのために、合理的な節約術を見つけていくのが、このプロジェクトだと理解して、応援している。子どもたちに、少しでもいい未来を手渡せる大人でいたいから。

Dr.Tadao-Kakizoe

国民皆保険制度を護るために

(公財)日本対がん協会 会長
国立がんセンター 名誉総長
垣添忠生

 国民皆保険制度を護るためにも、SATOMI臨床研究プロジェクトを応援します。

 

日本対がん協会

 

下重暁子

沈みゆく船をこのまま見ているだけでいいのか

下重暁子

 自分に出来る事をやらねば、という國頭先生の言葉と行動に賛同します。私も私に出来る事をやらねば(!)

関川夏央

自分を信用できないが、それでも。

関川夏央

 人間、七十五歳になれば、もうあたらしい仕事はできない(だろう)。
 頭も体も、ついていかない(だろう)。
 七十五歳になれば、あの頃、自分は若かった、あの日の空は青かった、などと甲斐なくつぶやくばかりの、おもしろくない日々を送っている(だろう)。

 里見清一先生は、医学の進歩がもたらす健康保険の高額医療で遠からぬうちに日本は潰れるといわれた。まことにもっとも、と思う。
 里見先生に賛成する私は、七十五歳になったら延命治療を謝絶する。ただし、痛いのと苦しいのはすごくイヤだから、対症治療は存分にしてもらう。
 これで、目的を失った老後の暮らしと認知症への恐怖から解放される。そのうえ貧者の一灯、お国にもいくらか貢献できる。

 と決意してみたものの、実は自信がない。
 未練がましくてジタバタしがちな性格の自分だから、いざ七十五歳になれば、やっぱり延命してくれ、おのれの懐は痛まないんだから、何千万円だろうが構わない、どんどん高いクスリを使ってくれ、と言いかねない。
 それは大いにあり得る想定だが、そのときは里見先生に泣いてすがって、やさしく冷たくされたいと願う。
 いずれにしろ、遠からずその日はくる。私にも日本にも。